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「もはや戦後ではない!」

◆1月19日(日)「前ブログの続編」
タイトルの言葉が流行語になった1956年僕は生まれる。戦後という呪縛に囚われた父に教育を受けた幼少期、家の壁には父が自ら描いた陸軍の襟章(↓)が階級順に大きく貼られていたし、初めて覚えさせられた歌は「露営の歌(勝って来るぞと勇ましく〜♪)」だった。

また、3年前再度移住して来た和泉市には1919年以来、帝国陸軍(現陸上自衛隊)信太山駐屯地(面積約20万峭短勹犁緇譴量5倍)を有し、少年時代には「自衛隊祭?」みたいなのに出掛け、戦車に乗せてもらうなどして嬉々としていたものだ。

そして中学2年生の時それは紫電一閃の如く訪れた。岡林信康に始まる「高田渡 “自衛隊に入ろう” 」等、関西フォークとの激越に過ぎる邂逅が、その後の僕の人生に広大無辺の影を落とすこととなる。

さらに高校時代、毎年11月3日は凛々しい軍服に身を包んだ上級自衛官が、我が学び舎に何台ものジープを連ね乗り付けるという異様な光景が繰り広げられる。高校3年生全員が「防衛大学校第一次入学試験(筆記)」を受験させられるのだ。普通は予備校とか専門学校とかの指定会場へ赴いての受験だが、我が校だけは特例であった。(現在は行われていない)。

こんな青春時代を経て、東京文京区の延べ16年間に及ぶ塾時代、防衛庁(現防衛省)幹部官舎の子女が塾生に多く、勿論父兄との出会いもあり、その親交は今もなお続いている。

因って私は、軍隊とか自衛隊には「他生の縁」どころか「かなりの縁」があり、人一倍、いや何十倍何百倍も敏感なのである。(to be continued・・・.)



 
| kamaken | カマケン・メモリー | 13:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
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